活動以外での3ヶ月間、「やっと会えたね」嬉しい再会🤝
こんにちは、現在はビーチサッカー選手🏝️⚽️であり、元JICA海外協力隊のMAHOです!
今回は活動以外での3ヶ月間のラオスでの日々を紹介します!
まだ感染の不安も、お世話になった人々と嬉しい再会
学校が休校ということもあり、再派遣後の活動は納得のいくものではありませんでしたが、動画制作以外の日や休日は、感染に十分に気をつけながら過ごしていました。
配属先の教育スポーツ局に顔を出しに行き、職員と再会ができました。現在は人事異動があり、以前のメンバーより少なくなっていましたが、上司の課長と、同僚で年が近かった女性職員が温かく迎えてくれました。2人とも、色々と質問をしてくれて、心配をしてくれていたんだと感じました。

同じ敷地内にある職業訓練校の食堂で、異動になった元同僚の2人とも再会できました。
2人はお兄さんと弟のような存在で、再会することができ、とても嬉しかったです。

以前住んでいたアパートの大家さんとも再会ができました。息子さんはオンライン授業で会うことができませんでしたが、大家さん夫妻が温かく迎えてくれました。置いて行った自転車もずっと取っておいてくれました。残念ながら、その後チェーンが外れ、廃棄となりましたが、この自転車でたくさん色々なところを走りました。この自転車にも本当に感謝です。
「ありがとう」

学校や学校の先生の家にお邪魔して、お世話になった先生たちとも再会を果たしました。学校は休校のため、児童はいませんでしたが、オンライン授業の準備や次年度の準備のため、先生たちは学校に来ていました。

私は二つの小学校に体育の巡回指導を行っていましたが、そのうちの一校の先生のご自宅にお邪魔して、先生とその家族と一緒にラオスの焼肉:シンダート🥩を食べたりもしました。

その際に、近くに住んでいる学校の児童とも再会ができました。身体の小さな男の子ですが、とても可愛くて、実は一番会いたかった子でした。
少し背が伸びていましたが、相変わらず得意のダンスを練習しているようで、ラオス伝統舞踊のシラパも披露もしてくれました。
彼は私がいると聞いて、先生の家に入ってきて、私の顔を見るとニコッと笑いました。近くに座るも、少し緊張しているのか、恥ずかしかったのか、わずかに距離がありました。
「やっと会えたね」
というと、照れ笑い、いや、大照れ笑いで、笑いが止まらなくなって、つられて私も笑っていました😄彼のその笑顔を見て、本当に戻ってきて良かったと心から感じました。

スポーツ隊員、事務所スタッフとサイクリング🚵♀️
この3ヶ月間、JICA関係者とも嬉しい再会を果たしました。
当時ラオスにいたスポーツ隊員たちや、JICAラオス事務所のスタッフさんとサイクリングに行ったことがありました。
JICAラオス事務所のスタッフさんとその旦那さんとのサイクリングでは、私と柔道隊員が一緒に参加しました。メコン川沿いを首都から西側にひたすら走るコースでした。

この時の面白いエピソードとしては、折り返しで復路の際に、私の自転車と柔道隊員の自転車を交換したのですが、柔道隊員が乗った際に漕ぐ勢いが強かったのか、チェーンが外れるハプニングもありました!😂ちょうど近くで工事をしていたラオス人のお兄さんが直してくれ、なんとか帰ることができました。
このサイクリングでは、途中にカフェで美味しいコーヒー☕、スムージー🥭を飲んだり、ラオスの田舎の風景やメコン川を望みながら、自然🌿を感じることのできた、とても気持ちの良いサイクリングでした🚴♂️🚴🚴♀️

その後別の日に、スポーツ隊員2名(柔道、水泳)と私ともう1名の体育隊員(大学)の4名で、再びメコン川沿いを走るサイクリングに行きました。
途中キャンプ場のような新しい施設にもより、美味しいドリンクを飲んだりと、こちらもとても楽しいひとときでした。








ラオスの学生と日本語交流🇯🇵、隊員同士の支え合い
活動期間終盤は、日本語教育隊員のオンライン授業にも参加させてもらい、国立大学の学生さん達ともオンラインで交流しました🙏🏼
この隊員は元々は、私が協力隊になる前からラオスの国立大学にある、LJIセンターという日本語教育の施設で活動していて、その後協力隊としてラオスに戻ってきた隊員でした。
私とは同い年で、お互いにゆったりとしたペースでもあり、再派遣にて再会ができました。

ある日の午後、泊まっていたゲストハウスのベランダで(すごく狭いし、高くて怖かった😅)、椅子に座りながらゆったりと話をしたのが思い出です🌇
彼女の隊次はパンデミック前の1.2ヶ月前に赴任し、その後すぐに緊急帰国となってしまった隊次でした。私は1年2ヶ月のところでの緊急帰国でしたが、彼女を含めこの隊次の隊員たちも、
「配属先に赴任して、さあこれから頑張るぞ」
という時期であったかと思います。当時は残念な気持ちもあったでしょう。
それを乗り越え、再びラオスに戻ってきた隊員たち。
一方で、新たな道へ進むことを決めた元隊員たち。
どの選択も間違いではありません。
でも、同期隊員がいないと寂しい気持ちにもなります。
世界的なパンデミックにより、当時のJICA海外協力隊のほとんどが、既存の同期隊員とは離れ離れになってしまいました。

同期隊員というのはやはり心強い存在です。※派遣国によって人数差があります。1名の場合もあります。
私の再派遣時は1名の同期隊員がいて、お互いに支えになっていました。
この同期の彼女は、コミュニティー開発隊員と呼ばれる隊員で、ラオスの伝統工芸品を現地の生産者さんと協力しながら、販売・生産していく活動をしていました。
彼女はロックダウンが発令され、活動先のヴィエンチャン県(※首都とは異なるヴィエンチャンです)になかなか迎えなかったこともあり、派遣期間を延長することになりました。
そのため、私は一人で帰国することとなりましたが、彼女の活動が上手くいくことを同期隊員として願っていました。
派遣前の訓練所では、ラオ語クラスは2クラスあり、彼女とは別のクラスでしたが、訓練所の一角で一人、ラオ語の辞書とノートを机に並べ、勉強していた彼女を思い出します。
その時、彼女の様子を見て、
「大丈夫?無理しないようにね」
と声をかけました。
そんな彼女は、その後ラオスで、現地のラオス人と楽しそうに会話をしていたり、今もラオスに足を運んでいるようで、一生懸命な姿に今も私は力をもらっています😊

会いたかったラオスの人々と再会を果たすことができました。
ラオスにいる隊員同士の交流もあり、再派遣という状況だったからこそ、パンデミック前よりは濃いものになりました。
活動は思うようにはいきませんでしたが、
「帰ってきて良かった」
と心から思えた3ヶ月間でした😌
MAHO

コメント