ついに戻る日が来た!情熱を胸に、再びラオスへ🇱🇦
こんにちは、現在はビーチサッカー選手🏖️⚽であり、元JICA海外協力隊のMAHOです!
2020年3月の世界的な新型コロナウイルス感染拡大の影響による緊急帰国から、約1年半後に再派遣が叶いました。今回は再赴任時の様子を紹介します。
再赴任は3ヶ月間、最後の活動へ
2021年8月、JICAラオス事務所の担当の調整員さん(協力隊員のお世話をしてくれる日本人職員)より、
再派遣が決定したとの連絡を受け、
その後は派遣期間の決定やパスポートの手続きなど、
急ピッチで物事が進んでいきました。
パスポートは、実はJICA海外協力隊になると、
『公用パスポート』となり、
深緑色の政府から発行されるパスポートを受け取ります。
その際、自身が保有している通常のパスポートはJICA保管となり、JICAに預けるのが通例です。
※なかにはJICAに預けずにそのまま保有して、その通常パスポートで旅行してしまう隊員もいるようですが、こういった行為は禁止されています。
渡航日は2021年9月11日となりました。
私と同日に再派遣となった隊員は、
私以外に4名いました。
一つ前の隊次の2名の先輩隊員と、
一つ後の隊次の1名の後輩隊員、
そして、同期隊員の1名でした!
何より、この同期隊員と再会し、そして再び一緒にラオスへ行くことができ、とても嬉しかったです!
この時の再派遣5名は、それぞれ派遣期間が異なりました。
5名のうち、私と同期隊員は派遣期間は約3ヶ月の12月まででしたが、その後同期隊員は延長することになりました。※理由はのちほど説明します。
出発は成田国際空港からとなり、
当時は海外渡航時はどの国でも新型コロナウイルスの陰性証明書の発行が義務付けられていた為、
前日にPCR検査の為、空港に近い指定されたホテルでの宿泊となりました。
その後無事に陰性が証明され、翌日ついに出発となりました。
途中クアラルンプールで乗り継ぎ、1泊し、
ようやくラオスの首都ヴィエンチャンにある、
ワッタイ国際空港に到着しました。
約1年半ぶりのラオス。
飛行機の窓から見下ろしたラオス、
着陸し、滑走路とその先に見えた街の建物。
その時に
「やっと、帰ってきた」
と、安堵と共に、
これまでの我慢の日々が報われたように感じました。
空港について入国審査後にすぐ、ラオスでもPCR検査がありました。
検査員さんはもちろんラオス人ですが、
とても優しく接してくれたことを覚えています。
検査後に空港のロビーに出てきましたが、
ここから14日間の隔離期間に入るため、
すぐに送迎専用車(日本寄贈の京都の市バス🚎🇯🇵)で、隔離施設に指定されていたホテルに向かいました。
車からの景色は、
1年半前とほとんど変わらないものの、
どこか静けさを感じました。
当時は一般の観光客の入国が停止されていたこともあり、
また実はこの時、ラオス国内ではにわかに感染者が増加傾向にありました。
その為、人通りはとても少なかったように見えました。



ホテルでの14日間の隔離生活
私たち再派遣5名の隔離施設は、メコン川近くにある一般観光客向けのホテルでした。
このホテルのあたりは何度か通ったことがあり、まさかこんな形でメコン川近くに宿泊するとは思いもよりませんでした。
ホテルでの生活は、やはり一歩も出られない窮屈さや、時より退屈さはありましたが、
食事は朝はメニューから選択して、受付へ内線で連絡すると持ってきてくれましたし、
昼食、夕食も、ボリュームの波はありましたが、
時間になるとスタッフが持ってきてくれました。
また、私は利用しませんでしたが、デリバリー注文も可能でした。
入国後はJICAラオス事務所との再赴任時オリエンテーションがありました。
初めましての所長さん(日本人)をはじめ、他スタッフとオンライン上での嬉しい再会を果たすことができました。
一方で、これまでの約1年半の間に、任期満了のため退任となった調整員さんや前所長さんはすでに帰国されていたため、ラオスでの再会が叶わず、寂しさも感じました。
ホテルではラオ語の勉強をしたり、筋トレをしたり、PCで映画を見たり、
他にやることも、できることもなかったのでゆっくりと過ごしていました。
その間、ラオスでは感染者が増え続けており、
私たちが入国してすぐにロックダウンとなりました。
ラオスではfacebookが主な情報源のため、
毎日チェックをしていました。
また、当時、ロックダウンにより通行規制がかかっている場所や、
感染者が出た場所、各村の感染者数がわかるサイトがあったため、それをよく見ていました。
私たち再赴任5名は、ロックダウンの延長が発表されてまもなく、隔離期間が終了となりました。





隔離生活終了、ドミトリーとの別れ、ゲストハウスへ
隔離期間が終了し、晴れて自由の身になりましたが、
当時の状況はロックダウンにより通行規制があちらこちらにあり、
また、いつ・どこで・誰が、感染するかもわからない状況のため(ラオスの衛星環境ではなおさら😂)、
気持ちはそれほど晴れるものではありませんでした。
また、学校も9月から一部再開となっていたのですが、
ロックダウンにより再度休校となってしまいました。
私の活動地域は首都郊外で空港から西側の地域、中心部からは車で10分ほどです。
元々住んでいたアパートは空港沿いにあり、
隔離終了後はすぐに引越しをしたかったのですが、
学校も休校のため、協力隊用のゲストハウスに泊まることとなりました。
実は、パンデミック前まではJICAラオス事務所が借りていた、隊員専用のドミトリーがありました。
2階建ての7DKの建物で、これまで長きに渡り多くの隊員たちが赴任時や、首都上京時に宿泊をしてきたわけですが、
老朽化や費用削減に伴い、ドミトリーは閉鎖することとなりました。
私が再赴任時はまだオーナーへ返還する期日の前であったため、
最後に同期隊員とともに、ドミトリーに寄り、
感謝と別れの挨拶をしてきました。
このドミトリーでは少なからず思い出があります。
掲示物や食器など、まだまだ残っているものもありましたが、
空っぽの棚や本棚、
静まり返ったダイニングルームを見て、
寂しさを感じました。
パンデミック前、この隊員ドミトリーには、セキュリティガードのスタッフが交代制で1名ついていましたが、
みんな若いラオス人でした。
19歳、20歳ほどの男女で、
隊員たちと顔を合わせるたびに会話も増え、仲良くなっていました。
もうドミトリーは隊員が使わなくなっていたため、
セキュリティガードのスタッフはおらず、
同期隊員と寄った時は、ラオス人のおばさんと小さくて可愛い猫が入口にいました。
「今までありがとう」
と心の中で思いながらドミトリーをあとにしました。






再派遣が叶った矢先、ラオスで再びのロックダウン。
最後の3ヶ月間の活動はどうなってしまうのか、
不安が募る隔離生活でしたが、
それでも、
先生や子供たちにもうすぐ会える!
という想いが支えていてくれました。
MAHO

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