任期終了、1年5ヶ月の活動を終える📅
再派遣を経て、協力隊の任期が終了最後の3ヶ月間は、ラオス国内でのロックダウンと重なり、活動がほとんどできませんでした。
それでも、「ラオスに戻りたい」、「もう一度みんなに会いたい」という想いを叶えることはできました。
ラオスに戻り、ホテルでの隔離期間を経て、感染に気をつけながら、会いたい人々に会いにいきました。
何より、活動先であったビエンサワン小学校とカオリャオ小学校に行けたことがとても感慨深く、ラオスに戻ってきたことを改めて実感しました。
残念ながら、学校は休校中で、次年度の準備などをしている先生たちしか学校にはおらず、子供たちはいませんでしたが、学校の静かな校庭を眺めながら、懐かしい思い出が蘇り、また、どこからか子供たちの声が聞こえてくるようでした。

帰国前には、一緒にご飯を食べたり、バーシーという御守り(冠婚葬祭に行われる儀式で腕に巻かれるミサンガのようなもの)を巻いてもらいました。

家族のように迎え入れてもらい、家族のように、送り出してもらいました。ラオスに来なければ、出会うことはありませんでした。
全世界での新型コロナウイルスの感染拡大という、大変な時期を経験しましたが、協力隊として、ラオスに来ることができて、ラオスに戻って来ることができて、本当に良かったです。

ラオスで出会った協力隊🇱🇦
私の帰国の前に、何名かの協力隊が帰国をしました。隊員が滞在するゲストハウスに集まり、残る隊員たちでお見送りをしました。
主に私の元々の隊次のあとに、ラオスへ派遣された隊員たちでした。それぞれの場所で、それぞれの活動を最後までやり抜きました。
「パンデミックがなければ、もっと活動ができたはず」
そんな想いを誰しも持ちながら、それでも最後の日を迎え、日本へ笑顔で帰っていきました。
「さあ、次は私の番」
そう思いながら、彼らを見送りました。

当時はパンデミックの影響で、ラオスには15名ほどの隊員数でしたが、私が初めに派遣された2019年頃は50名近くの隊員がラオス国内で活動をしていました。
首都隊員が最も多く、先輩隊員のなかには、ヴィエンチャンのことにいろいろと詳しい方もいて、後輩隊員にとっては頼もしい存在でした。
地方の隊員は、首都に上京してきた時でしか顔を合わせることはありませんでしたが、当時あった協力隊のドミトリーで少し話をすることもありました。
看護師さん、助産師さんなど医療系の隊員もいて、発展途上国で命と日々向き合う現場ということもあり、他の職種とは少し異なる印象を受けました。
隊員たちは一人一人、様々なバックグラウンドを持っています。協力隊を目指したきっかけも様々ですが、こうして異国の地ラオスで出会ったことは縁であり、出会いに感謝しています。

ついに帰国、ラオスとの別れの日✈️👋
帰国日が近づき、最後に、教育スポーツ省に表敬訪問へ行きました。
ラオ語でこれまでの活動について、少し話をしました。質問されたことについても、ラオ語ですらすらと答えている自分がいました。こんなに話せるようになるとは、訓練所の頃は思わなかったでしょう。
また、再派遣後に小学校の校長先生に会いに行った時は、「以前より喋るようになったわね」と言われました。その時も思いましたが、おそらく、やっとラオスで再会ができたことが、話したいという気持ちを起こさせたのだと思います。再会できて嬉しいという気持ちが全面に出ていたのでしょう。

出国当日の朝、帰国前のPCR検査を受けに行きました。検査場には多くの人々がいて、結果が出るまでは不安だらけでした。
実は滞在先のゲストハウスで、帰国前にコロナ感染者が出てしまったからです。そのなかに隊員もいて、その時は一層気が引き締まりました。

検査から戻ると、ちょうどこの日に活動先へ移動となる同期隊員と、一足早くお別れをしました。彼女は首都ヴィエンチャンに隣接するヴィエンチャン県が活動先でした。(同じ名前でややこしい笑)
彼女は派遣期間延長のため、一緒に帰ることはできませんでしたが、共にラオスで歩んだ同志として、最後に彼女の健闘を祈りました。

検査結果が出るのは18時、不安のまま、再び検査場に行き、結果は無事、陰性でした。出国が出きることになり安心しました。
出発の時、同期隊員と数名の隊員が見送ってくれました。その後、JICAラオス事務所の調整員さんと、事務所の車で空港へ向かいました。空港は人も少なく、とても静かでした。調整員さんと別れを告げ、出国ゲートを通過し、搭乗口前で時間まで待ちました。

搭乗時間までの間、メッセンジャーで、学校の先生やその娘さんたちと話をして過ごしました。
「日本に着いたら、連絡してね」
「うん、ありがとう、元気でね」
とのやりとりをして、飛行機に乗り込みました。ついにラオスへ別れを告げて、帰国となりました🇱🇦✈️🇯🇵

協力隊を終えて🙏🏼🇱🇦
協力隊を終えて思うことは、
「コロナがなければ…」
この気持ちが無くなることはありません。
コロナがなければ、今私は、今とは異なる道を進んでいたことでしょう。スポーツ×国際協力の分野に進みたいと考えていたからです。
それくらい、ラオスへの想い、協力隊活動への想い、発展途上国での活動への想いが強くありました。

パンデミックがあり、緊急帰国、約1年半の待機期間を経て、ラオスへ再び戻ってきました。そのラオスでは、まさかのロックダウンで、活動はほとんどできませんでした。
しかし、日本へ本帰国後は、待機期間中に行っていた、ビーチサッカー選手という道を選択しました。
ただ、ラオスへの想いはいつも胸のなかにありました。
またいつか、会いに行きたい。
お世話になった人々に、また会いたい。
日々の仕事と、ビーチサッカーの活動で、休日はほとんどありません。それでも、ラオスへ行ける日はいつになるかわかりませんが、また必ず、ラオスに戻りたいと思います。
そんな想いを抱かせてくれたのが、ラオスという国です。

ラオスで、協力隊の活動ができて、本当に良かったです。ラオスで私を温かく迎えてくれた人々に、心から感謝しています。
コプチャイライラーイ😌🙏🏼
MAHO

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